kuminco's diary

好きなものを 好きなだけ 好きなように

15年前の今日

15年前の今日の私は中学一年生。幸い神戸の北の方に住んでいたので被害はそれほどでもなく、家族も全員無事でした。



建て直したばかりの家がありえないくらい揺さ振られました。手を付けていない方の古い家は土壁が剥がれ落ちてきました。
当時高速神戸に勤めていた父はその日たまたま夜勤を交代していて家にいました。夜勤に出ていた同僚の方は目の前に地下鉄の天井が落ちてきたそうです。
東灘区に住んでいた叔母は完全に住む所を無くして、足に怪我をした同居人をかついで帰ってきました。
長田区に住んでいた親戚は倒壊は免れたもののウチに避難してきている間に、地震火災の海がこの家にもやってきて全焼してしまいました。その光景を親戚とテレビで見た時のおばさんの崩れ落ちる姿が忘れられません。
中学の先生が何日も音信不通になり、神戸の街中から学校のある神戸の北の端まで何日もかけて歩いて無事を知らせに来てくれました。倒壊した家の中で丸一日助けを待っていたそうです。



住む所を無くした人はまわりにたくさんいましたが、本当に幸せな事に私のまわりの人達はみんな無事でした。



中学一年生の私は六甲山を挟んですぐそこで起きた事の、重大さや現実をちっともわかっていませんでした。
そんな子供で無知な私に担任の先生は新聞や震災に関する記事を毎日スクラップして提出するように宿題を出しました。当時は正直面倒臭いと思い、適当にこなしていました。
そんなあまり中身の無いかもしれない当時の神戸新聞のスクラップは今でも手元に置いてあります。十分に当時の記憶を蘇らせてくれます。毎日キリの無いおにぎりを握って被災地に届けていたのを思い出しました。被災にあわれた人達はとてもとても力強く、思いやりに溢れ、『がんばろう 神戸』の精神が滲み出ていました。
あの時、そんな宿題を出してくれた担任に感謝です。今わかります。先生が伝えたかった事はこうゆう事だったんだって。
人は絶対忘れていく。でも震災のこと、自分の目で見た事、自分の知らない所で起きた事、何年も経ってもまだまだ復興していない場所(事)がある事、、、絶対に忘れてはいけないんだ。



きっと社会の教科書に載りますよね?書いてあることはほんの1、2ページですよね。それじゃぁちっとも伝わらない。自分も今まで思い知ってきた。いろんな歴史上の出来事には教科書に載っていない事実がたくさんあった事を学校を卒業してから。それはとても寂しく感じました。自分もまだまだ知っていきたいと。知らないで悠々と生きているのはしんどいです。



阪神大震災を知らない旦那や子供たちに教えてあげたい。忘れたらあかんよ。



阪神に限らず、他の地域での震災や災害も一緒。人事じゃない。明日は我が身かもしれない。今度は自分が家族やまわりを支える番。



1月になると毎年いろいろ考えちゃいます。そしていろいろと思い直します。